事の起こりは小学2年生の時分の運動会。
このはは各組選出の組対抗リレー走に参加し、彼女の組は3着の成績を収めた。
たかが3位。されど3位。満更でも無い顔のこのは。そこに追い討ちを掛ける様に、担任教師が折り紙で作った銅メダルを進呈した(前もって金銀銅を揃えて準備していたらしい)。
彼女は当然大喜びした訳だが、物事は重なる物でこれに更に追撃が入る。
当時から横文字かぶれだった彼女は、その場で担任に「銅は英語で何か」と問うた。
返答は「カッパー」。
能力者として未だ覚醒はしていない身であったものの、能力者である父親から覚醒を予期されていた彼女は、幼少より先祖たる『淀河童』の話を寝物語として聞いている。
また、年若い彼女が憧れを持ってその話を聞いていた事は言う迄も無い。
……その日の彼女のはしゃぎっぷりは、それはもう…凄い有様で……
「あの日のこのはは歴史に残る鬱陶しさやった」
クラスメイト全員の証言である。
さて、次の日。
熱気が冷めれば心は平静を取り戻す。
冷静に立ち返り、前日の己を思い出し、後悔と羞恥の炎に一通り悶え苦しんだこのはは、とりあえず学校のズル休みを画策。当然の如くこれは祖父の手によって未然に阻止された。
名状し難い表情と朱に染まった頬で通学するこのは。
明らかに尋常でない彼女の態度に当然、即座にその後悔に気付くクラスメイト達。
視線で人が殺せるなら軽く無差別大量殺人鬼として名を馳せそうな顔をしているこのはに対し、クラスメイト達はさし渡り当たり障りの無い反応を返す。それは様子見であると同時に、ある種『来るべき時』を待つ様な風情で。
その時は直ぐに来た。
「おはようカッパー!」
ピリピリと緊張した空気を縦に切り裂く爽やかな挨拶。
声の主は、小学1年で隣の席になって以来、このはが銀誓館に転校して行く正にその日まで、3日に最低1度は欠かさず彼女と喧嘩をすると言う記録を樹立した、一番【仲の悪い】クラスメイト。
とてもイイ笑顔だった。
「あ、『このはなこのは』やからカッパーよりコッパーの方がええな?」
しかも追撃を仕掛けた。
「よし!今日からアンタはコッパーや。“こっ恥ずかしい”のこっぱーや!」
三連撃が完成した。
「おはようこっぱー!」
挙句言い直した。
クラスメイト達の我慢に限界が来た事は言うまでも無い。
主に腹筋の。
蛇足だが、この日最大の被害者は喧嘩を止めようと割って入った際このはに股間を蹴られた上、監督不行き届きだと教頭にこっ酷く説教された上で原稿用紙5枚分の反省文の作成を命じられ、ついでに『こっかけ』なる仇名を愛する生徒たちより賜った担任教師(27歳男性独身)と言える。そう断言して差し支えあるまい。
以上が『こっぱー』と言う愛称の由来である。
元々大恥以外の何物でも無い出来事に端を発するこの仇名は、このはが嫌がれば嫌がるほど周囲に愛用され続け、銀誓館学園への転校が決まる頃には最早、本名で呼ばれる事の方が少なくなっていたと聞く。
年単位に及ぶ長き歳月の蓄積により諦めの色が見られる様になっていたものの、このは自身は最後まで『こっぱー』と呼ばれる事を否定し嫌がり続けていた。とも。
つまり、
此花このはが手の平を返したように『こっぱー』と呼ばれる事を希望し、それを仇名ではなく愛称だと言う様になったのは……故郷を離れ一人、銀誓館学園に着てからの事なのだ。
その理由に関しては、これを明記する必要を感じない。
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